
足利義輝(向井理)亡き後、室町幕府第15代将軍として擁立された足利義昭。仏門に入り、覚慶(かくけい)という名で貧しい人たちに寄り添っていたものの、将軍になってからは次第に違った顔を見せていく義昭を演じるのは、『龍馬伝』以来二度目の大河ドラマ出演となる滝藤賢一さんです。明智光秀(長谷川博己)と同じ、“麒麟がくる世”を目指していたものの、織田信長(染谷将太)と対立し、光秀と訣別したシーンは圧巻でしたが、滝藤さんはどのような思いで義昭を演じているのでしょうか。義昭の変化や苦しい胸の内について、お聞きしました。
――足利義昭を演じて、どのような印象を持ちましたか?
「義昭は室町幕府の“将軍”ですが、本作では貧しい人たちのために生きていたお坊さん・覚慶のときから描かれているので、その思いを大切にしながら芝居してきました。義昭の最初の思いは、“戦をなくしたい”だったと思うのですが、そこは戦国時代です。大名同士仲良くして、話し合いで収めてほしいと言っても、誰も言うことを聞かない。そういう中で、義昭の考えは理想でしかなかったのでしょう。この時代を生きるには、義昭は優しすぎたのかな、きっとお坊さんのままがよかったのかなと思ってしまいます。義昭は、武士だった父、そして兄・義輝とは違うので、自分に何できるのか悩み、結局、進むべき方向性が定まらず、いろいろな人たちを権力で押さえ込むようになってしまいました。そういった背景から、義昭は弱い人なのだとも考えられますね」
――とくに義昭が弱い人だと感じたシーンはどこでしょうか。
「貧しい人や病気の人を助けようと、義昭の同志で唯一の理解者である駒(門脇麦)が集めたお金を全部鉄砲に替えてしまった場面です。気持ちの面で弱さを感じた象徴的な場面でした。駒だけが義昭のことを分かってくれていて、心は完全に通じ合っているけれど、義昭がその道からだんだん外れてしまったのでしょうね。義昭は、信長を倒せば“麒麟がくる”と信じ、猪突猛進に突き進み、ゴールすら見失ってしまいました。信長に対しては、積もり積もったものもあったと思いますが、決定打は、信長が延暦寺へ侵攻した場面だと思います。お坊さん、女子どもも関係なく討ち取っていった、その非情な行動に、信長に新しい世を作るのは無理だ、戦だらけの世の中になってしまうと感じたのではないでしょうか」
――そんな義昭にとって恐ろしい信長役の染谷さんの印象はいかがですか?
「映画『ヒミズ』など、染谷くんが出られている作品も拝見していて、いつかご一緒したいなって思っていましたし、染谷くんが信長を演じるって、新しくておもしろいなと思っていました。現場では、信長という役でも、俳優としても、静かに圧力をかけてくる感じがしていて、それがまたいいんですよ。たまに本当に集中されていて板場にずっと座っていたりするので、お尻が痛くならないのかなって心配しています(笑)」
――摂津晴門(片岡鶴太郎)を幕府の執務から遠ざけたことは、どのように捉えていますか?
「摂津がいないと幕府は回らないというのも、義昭は分かっていたと思います。ですが、信長が好き放題に戦を仕掛けているあの局面で、何を言ってもかわされ、周りも摂津の言うことにしか動かない。そうやって摂津に心を壊されていき、追い込まれるようなかたちになり、結局は光秀の言うとおりに幕府の古い体制を一掃、つまりは摂津を除外するしかなくなったんですよね。そうなってしまうと、義昭を守ってくれる人は三淵藤英(谷原章介)のみ。それはかなりの恐怖だったと思います。
――第36回で光秀と決別するシーンは印象的でした。
「自分がその役の感情に突き動かされるという瞬間がこの現場では数々あるのですが、その中でも、光秀との決別のシーンは、長谷川さんの魂の叫びが聞こえて、俳優同士しか分からない時間が生まれたように感じました。光秀を感じているだけで感情が溢れ出てくるし、何もかも受け入れられる、そういった瞬間を経験することができました」
――今後、光秀がどのような展開を迎えるのか期待が膨らみます。
「本能寺の変がどのように描かれていくのか楽しみですね。史実上、なぜ光秀が本能寺で信長を討ったのかっていうのは、有力説があるにしても、決定打はないですから、いろいろ解釈が広がりますよね。長谷川さんは惚れ惚れするようなたまらない芝居をされていて、ドラマの中でも精悍な顔に変わってきている、“長谷川光秀”のラストは期待しかないです」
――……ありがとうございました。